大相撲の歴史において、数々の伝説と人間ドラマを残した力士といえば、昭和40年代から50年代初頭にかけて土俵を沸かせた第53代横綱・琴櫻傑將(ことざくら まさかつ)の存在を忘れることはできません。猛烈なぶちかましと「サボテン」の異名を取るほどの粘り強い相撲、そして何より土俵内外で見せた波乱万丈のキャリアは、今なお多くの相撲ファンの語り草となっています。
本記事では、琴櫻傑將の現役時代の栄光と、世間を揺るがせた「無気力相撲」騒動の真相、数々の名力士を輩出した佐渡ヶ嶽部屋の継承劇、そして現代へ受け継がれる孫・現琴櫻への感動的な四股名継承の秘話に至るまで、信頼性の高い一次情報と歴史的背景をもとに解説します。
第53代横綱・琴櫻傑將のプロフィールと波乱万丈の現役時代
琴櫻 傑將(ことざくら まさかつ、本名:鎌谷紀雄)は、1940年11月26日に鳥取県東伯郡倉吉町(現・倉吉市)で生まれました。佐渡ヶ嶽部屋に入門した彼は、その恵まれた体格と圧倒的な身体能力を武器に着実に番付を駆け上がり、昭和の土俵を代表する大横綱へと上り詰めます。
現役時代の代名詞といえば、対戦相手を吹っ飛ばすほどの強烈な「ぶちかまし」と、土俵際で驚異的な粘りを見せる取り口でした。しかし、その道のりは決して平坦ではなく、怪我やスランプ、そして後世に語り継がれる大きな試練を乗り越えての栄冠でした。
特に、1972年3月場所12日目に大関・前の山との一番を巡って相撲競技監察委員会から「無気力相撲」との警告を受けた事件は、彼のキャリアにおける最大の試練となりました。前日の貴ノ花戦で見せた二本差しの相撲から一転したことが状況証拠とされ、周囲は騒然となりましたが、本人は「自分の気持は休場するぐらいのものではない」と気丈に出場を続け、翌場所以降の執念の復活劇へと繋げていくことになります。
「無気力相撲」の真相と、愛娘の誕生がもたらした不屈の復活劇
1972年3月場所の騒動後、同年5月場所を1勝のみで休場するなど、一時は引退説すら囁かれた琴櫻でしたが、ここから驚異的な精神力で不死鳥のように蘇ります。
同じ二所ノ関一門であり、平素から懇意にしていた相撲評論家の神風正一との対談によって精神的な支えを得た彼は、横綱昇進への強い決意を固めました。加えて、同年7月場所の序盤で引退が頭をよぎるほどの不振に陥っていた最中、生まれたばかりの長女(後の初代琴ノ若の妻)の存在が脳裏に浮かびます。「この子が大きくなった時、胸を張れる成績を残しておかなきゃならない」という父親としての強い覚悟が、彼の闘志に再び火をつけました。
その結果、1972年11月場所で14勝1敗の成績を残して3度目の幕内優勝を果たすと、続く1973年1月場所でも14勝1敗で連覇を達成。この圧倒的な実績と執念が評価され、ついに第53代横綱へと昇進を果たしました。逆境を跳ね返し、家族の存在を原動力に変えて掴み取った横綱の座は、昭和相撲史の美談として深く刻まれています。
佐渡ヶ嶽部屋の黄金期と名力士を育て上げた育成手腕
現役引退後、佐渡ヶ嶽部屋を継承した琴櫻親方は、親方としても卓越した手腕を発揮し、多くの名力士を角界に送り出しました。現役時代から内弟子を集めていたこともあり、部屋は常に活気に満ちていました。
琴櫻が師匠を務めた時代、部屋からは合計22人の関取が誕生し、幕内優勝力士を4人(琴風豪規、琴富士孝也、琴錦功宗、琴光喜啓司)輩出するという偉業を成し遂げました。1990年代初頭には幕内力士7人を擁し、「七琴」「佐渡ヶ嶽軍団」と呼ばれて幕内の最大勢力を誇り、角界の台風の目となりました。
| 時期・出来事 | 主な実績・輩出された関取陣 | 備考・エピソード |
|---|---|---|
| 現役時代(1960〜1973年) | 第53代横綱、幕内優勝3回 | 強烈なぶちかましと粘りの相撲で昭和の名力士として活躍。 |
| 親方時代・黄金期(1974〜2005年) | 琴風、琴富士、琴錦、琴光喜(幕内優勝4人)ほか関取22人 | 「七琴」「佐渡ヶ嶽軍団」と呼ばれ、幕内最大勢力を構築。 |
| 部屋継承劇(2005年11月) | 娘婿である初代琴ノ若(現・佐渡ヶ嶽親方)へ名跡譲渡 | 定年退職日に合わせ、部屋の力士が出場できなくなる規定を回避するためのバトンタッチ。 |
| 現代への継承(2024年〜) | 孫・将且(初代琴ノ若の長男)が「琴櫻」を襲名 | 祖父との生前の約束を胸に、大関昇進を経て伝統の四股名が復活。 |
佐渡ヶ嶽部屋の継承劇と、初代琴ノ若へのバトンタッチ
2005年11月25日、琴櫻は定年退職を迎えることになりました。相撲界の規定では、部屋持ちの親方が定年退職すると、その部屋の力士が本場所に出場できなくなるという制約が存在します。これを防ぎ、部屋の伝統と力士たちの環境を守るため、彼は同年11月場所の千秋楽を待たずして、同日に引退を表明した娘婿の初代琴ノ若(当時は琴の若)に年寄「佐渡ヶ嶽」を譲りました。
奇しくも2代続けての本場所途中での部屋継承劇となりましたが、長年悩み続けていた「琴風に続く大関の誕生」についても、退職直後に琴欧州勝紀が大関昇進を決めるという最高の餞(はなむけ)を受けました。場所後に行われた琴欧州の大関昇進伝達式では、日本相撲協会の計らいにより佐渡ヶ嶽親方夫妻の同席が特別に認められ、長年の苦労が報われた瞬間となりました。
孫・現琴櫻への四股名継承秘話と受け継がれるDNA
そして、先代・琴櫻の血統と遺志は、現代の土俵へと鮮やかに受け継がれています。生前、先代は孫である将且(初代琴ノ若の長男)に対し、「大関昇進後であれば『琴櫻』の四股名を継がせてよい」という強い意向を初代琴ノ若に伝えていました。
将且は2015年11月場所で「琴鎌谷」の四股名で初土俵を踏み、着実に番付を上げて2019年7月場所の新十両昇進を機に「琴ノ若」を襲名。祖父譲りの恵まれた体格と正統派の寄り合い相撲を武器に躍進を続け、2024年3月場所で悲願の大関昇進を果たしました。そして、大関として1場所を務めた後、同年5月場所より祖父の偉大な名跡である「琴櫻」を正式に襲名しました。
祖父が遺した「琴櫻」の四股名は、単なる名前の継承にとどまらず、逆境に屈しない精神力や相撲道に対する誇りそのものであり、現代の土俵で新たな伝説を紡ぎ始めています。
【琴櫻傑將】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:琴櫻傑將の現役時代の最高位は何ですか?また何回目の優勝を果たしていますか?
A1:第53代横綱が最高位です。現役時代は通算で3回の幕内優勝を果たし、昭和40年代の土俵を大いに盛り上げました。
Q2:1972年に起きた「無気力相撲」の警告とはどのようなものですか?
A2:1972年3月場所12日目の前の山戦での一番を巡り、前日の取り組みの状況証拠などから相撲競技監察委員会より警告を受けたものです。本人は不条理なバッシングを受けながらも休場せず土俵に立ち続け、翌場所以降の復活と横綱昇進へのバネとしました。
Q3:孫である現在の琴櫻選手との関係はどうなっていますか?
A3:現在の琴櫻(本名:鎌谷将且)は、先代・琴櫻の娘婿である初代琴ノ若の長男であり、先代にとっては実の孫にあたります。生前の約束通り、大関昇進を経て伝統の四股名「琴櫻」が継承されました。
第53代横綱・琴櫻傑將が歩んだ相撲人生は、数々の苦難や逆境を不屈の闘志で跳ね返す、まさにドラマチックなものでした。「無気力相撲」の濡れ衣や怪我を乗り越え、家族の絆を原動力に横綱へ登り詰めた足跡は、今も多くの人々の心に残っています。
また、彼が情熱を注いで育て上げた佐渡ヶ嶽部屋の組織力と人材育成の精神は、娘婿である初代琴ノ若、そして孫である現・琴櫻へと確実に受け継がれています。昭和の土俵を震撼させた「琴櫻」の名は、令和の現代においても色あせることなく、新たな世代の手によってさらなる栄光の歴史を刻み続けています。