日本史の教科書や記念館、そして東京・上野恩賜公園のシンボルとして誰もが一度はその姿を目にしたことがある西郷隆盛。しかし、「実は本人の写真が一枚も残されていない」「上野の銅像は本人の顔ではなく、別人がモデルになっている」といった話を聞いたことがある方も多いのと考えられます。明治維新を牽引した偉人の本当の容姿を巡っては、数々の興味深い事実や歴史的エピソードが隠されています。
本記事では、写真嫌いだった背景や、エドアルド・キヨッソネによる肖像画の制作秘話、そして上野の銅像が建立された経緯を紐解きながら、西郷隆盛の本当の顔に迫る真相をわかりやすく解説します。
西郷隆盛が「写真嫌い」だった理由と生前の記録
私たちが普段目にする西郷隆盛のイメージは絵画や銅像が中心であり、生前のポートレート写真が極めて少ないことには明確な理由があります。明治時代初期、写真は最先端の技術でありながら、政治的・軍事的な機密保持や、当時の日本に残る古い文化的感覚から、撮影を好まない要人が少なくありませんでした。
特に西郷隆盛は自身の権威付けや偶像化を極度に嫌い、肖像画のモデルになることすら気恥ずかしがったと伝えられています。西南戦争の記録や当時の周囲の証言を振り返ると、彼は常に実直で飾り気のない人物であり、自らの姿が後世にどう残るかよりも、目の前の政治や国家の課題解決に心血を注いでいました。そのため、公式な場でも正面切ってカメラの前に立つことがほとんどなく、信頼できる写真資料が後世に残らなかった最大の要因となっています。
上野恩賜公園の銅像はなぜ作られたのか?その驚きの真相
東京・上野恩賜公園の緑豊かな敷地に堂々と立つ西郷隆盛像は、愛犬「ツン」を連れた親しみやすい姿で多くの観光客や都民に親しまれています。しかし、この銅像の顔が「本人そっくりではない」ということは歴史的な事実として広く知られています。明治維新の偉人として記念すべき銅像を建立する際、肝心の西郷の顔がわかる写真や正確な資料が手元になかったのです。
困り果てた関係者や制作者たちは、西郷隆盛と血縁関係にある近親者の顔立ちを参考にすることにしました。具体的には、実弟である西郷従道の体格や顔のパーツ、そして従兄弟の顔立ちなどを組み合わせ、さらにイタリア人画家の協力を仰ぎながらあの造形が完成しました。つまり、上野の銅像は「西郷隆盛その人の写実的な顔」ではなく、遺族の面影や当時の人々の記憶を統合して形作られた「象徴としての顔」であると言えます。
イタリア人画家キヨッソネが描いた肖像画の秘密
西郷隆盛の「本当の顔」を語る上で欠かせないのが、お雇い外国人として明治政府に仕えたイタリア人の美術家、エドアルド・キヨッソネが手掛けた肖像画です。キヨッソネは紙幣の印刷原版などの製作に携わる優れた技術者であり、西郷の死後、残されたわずかな資料や家族の証言を綿密に集めて精巧な肖像画を完成させました。
このキヨッソネの肖像画こそが、のちに教科書や各種メディアで使用される「西郷隆盛の定番の顔」のベースとなりました。以下の比較表に、西郷隆盛の容姿や像を巡る主要なポイントを整理します。
| 項目 | 詳細 | 公式発表・歴史的検証 |
|---|---|---|
| 生前の写真 | 現存する確実なポートレートは極めて少ない | 写真嫌いや撮影機会の拒絶により、本人の明確な顔写真の特定には議論がある |
| 上野恩賜公園の銅像 | 1898年(明治31年)に除幕式 | 本人の写真がないため、弟の西郷従道らの顔立ちや骨格を参考に制作された |
| キヨッソネの肖像画 | イタリア人画家による死後の制作 | 遺族や知人の証言を基に描かれ、現在の公式な肖像のベースとなった |
| 妻・糸の証言 | 「よく似ている」との評価 | 妻の糸をはじめとする身内がキヨッソネの肖像画を高く評価した記録がある |
妻・糸や子孫の顔立ちから推測される本来の容姿
本人の写真が乏しい中、西郷隆盛の本当の容姿を立体的に想像する手がかりとなるのが、妻である糸をはじめとする家族や子孫の記録です。妻の糸は、キヨッソネが描いた肖像画を見た際に「よく似ている」と語ったとされており、この証言によって当時の人々が抱いていた西郷の印象に最も近いビジュアルとして定着しました。
また、子孫に受け継がれた骨格や目元、大柄で堂々とした体格(巨漢として知られていました)の傾向からも、威厳と温かみを兼ね備えた九州男児らしい風貌がうかがえます。西南戦争をはじめとする激動の記録の中でも、彼の圧倒的な存在感やカリスマ性は、その容姿や体格のダイナミックさとも深く結びついていました。
歴史的真実としての西郷隆盛像:私たちが受け継ぐイメージ
西郷隆盛の顔を巡る議論は、「本人の写真がない」という事実と「後世に作られた像が定着した」という歴史の妙によって成り立っています。写真という客観的な記録が残らなかったからこそ、人々は彼の残した実績や人間的な魅力、そして遺族の面影を重ね合わせて理想の偉人像を作り上げてきました。
明治維新という日本近代化の転換点において、権力を誇示せず、写真を嫌い、実直に生き抜いた姿勢そのものが、彼の顔立ちや銅像が持つ独特の親しみやすさと厳格さに重なっています。上野の銅像が今なお多くの人に愛され続けているのは、完璧な写実性以上に、西郷隆盛という人物が日本の歴史に残した魂の大きさを、私たちがその姿を通して感じ取っているからです。
【西郷隆盛本当の顔】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:西郷隆盛の写真が1枚も残っていないというのは本当ですか?
A1:厳密には、本人のものとされる写真の存在が議論されることはありますが、確実な本人のポートレート写真極めて少なく、一般に広く知られている顔のほとんどは死後に描かれた肖像画や銅像をベースにしています。
Q2:上野の銅像の顔は誰をモデルに作られたのですか?
A2:本人の写真がなかったため、実弟である西郷従道などの親族の顔立ちや体格を参考に、イタリア人画家キヨッソネの肖像画などを組み合わせて制作されました。
Q3:キヨッソネが描いた肖像画は本人に似ているのでしょうか?
A3:西郷の妻であった糸が、完成した肖像画を見て「よく似ている」と語ったという記録が残っており、当時を知る関係者からも高い評価を受けていました。
西郷隆盛の本当の顔を探求する旅は、単なる容姿の謎解きにとどまらず、明治維新という激動の時代を生きた偉人の生き様を映し出す鏡でもあります。写真嫌いというパーソナリティ、遺族の協力によって形作られた上野の銅像、そしてキヨッソネによる精緻な肖像画の誕生――これらすべてのピースが噛み合うことで、現代の私たちが知る「西郷隆盛像」が完成しました。
外見の正確なデータ以上に、彼が残した足跡と人間味あふれるエピソードは、2026年の現代においても色褪せることなく、多くの人々の心に強い印象を与え続けています。歴史の記録と人々の記憶が織りなすその真実を、これからも大切に受け継いでいきたいものです。